2.

「フィミュー」

名を、呼ぶ声が聞こえる。
そう……名前。

白んできた空を見て、少年ははぁ、と溜息をついた。
風が髪を弄んで、何とも邪魔だ。

「……フィミュー?どうした」
「別に、何でも」

くっ、と喉の奥で笑って、ニウェルは一メートルほどの段の上に立つ少年を見上げた。
強い風が、二人の服をはためかせて過ぎる。

「ニウェ……その笑い方は嫌いだって言わなかったっけ」
「癖。どうにもならんだろ」

ハンと笑って、少年はニウェルを見る。
逆光で表情は見えないが、恐らく嫌そうな顔をしているのだろう。

「直しゃいいだろ、努力もせずに言ってんじゃないよ」
「努力しますよ」
「フン」

フィミューと呼ばれた少年は、体ごと彼から視線を外して、下を見た。
……高い。

「落ちるなよフィミユ」
「煩いなああ」

下から吹いてくる風が、冷たい。
フィミユは思わず冷たくなった手を首筋に当てた。……暖めたくて。

「で……これからどうするつもりで」

わずかに首を傾げて、ニウェルは問うた。
フィミユからまともな返事が返ってくるとは思っていなかったが、案の定そうだった。

「知らないよ。僕は此処から出たあとのお前には興味はないの」
「無責任だな」
「ハン、お前の人生背負う気なんてない」

軽く鼻を鳴らして不機嫌そうに横を向く。
その様子がどうにも子供っぽくて、無意識のうちに笑ってしまった。

「……く」
「何が可笑しいよ」

低い声で言いながら、彼は段になっているところから飛び降りた。
トン、と軽い音を立てて着地すると同時に、ニウェルを睨みつける。

「いや、……らしいなと思ってな。どうせ俺にも行く当てはないし」
「……僕には関係ない。僕には行く場所があるからね」

ニウェルを見上げていた顔をふいっと横に向けて、そう吐き捨てた。

「ん。そうか……じゃあついていくか」

しばしの沈黙。

「……あっソ。死にたいなら来れば」

細い腕を左右交互にくるくると回して、そしてまた一段、段から飛び降りる。
フィミユの黒いマントのような布がバサッ、と音を立てた。

「どこに行くんだ?」
「知っても意味無いでしょ、どうせ。……たった三日一緒にいただけの奴に親しくなんてしてやんない」

言いながら、テンポよく段を降りていく。
フィミユの声が少しずつ遠ざかっていくのに、何となく不安を感じてニウェルも同じように降りていった。

「つって……俺には、他に知り合いもいないし、なっ」

言いながら着地したので、声が少し揺れた。
そうして初めて、フィミユの声が一度も揺れなかったことに気付いた。

「なら作ればいいだけじゃない」
「そう簡単にいくまいよ?」
「フン……馬鹿じゃないの」
「は?」
「そんなの口実だろ、単細胞」

地に降り立って、初めてフィミユがニウェルの方を向いて話した。
くるくるっと片腕を回して、もう片腕でずれた黒布を直している。

「塔を出て何がしたいかなんてお前次第だろ。僕についてくる必要なんて無い」
「まあそう厭うなよ」

少し遅れて、ニウェルも地に降り立った。
少し硬い地面を踏んで、初めて自由になったのだと実感した。
何となく寂しいような、心細いような、頼りない気持ちが込みあがってくるのが分かった。

「お前……牢を出てから随分喋るな。地がそれ?」
「そりゃあんな場所にいれば無口にもなる」
「ハン」

軽く鼻を鳴らして足早に歩いていくフィミユに、何度か問いかけながらニウェルも歩き出した。
面倒臭そうに、しかし返事をする所を見ると、言うほど嫌われているわけではないらしい。
そう、思ってニウェルは微笑んだ。



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